感覚をバグらせろ

書きたいことを書きたいだけ書きます。

感謝の気持ちを持ち続けたい話~人生交響曲・走馬灯arr.~

※注※

書きたい内容上「わァ…ァ…」な内容と捉えられるかもしれません。が!!私自身の気持ちは前向きです!!!生きてます。命に別状はありません!!!!!!!関わりのある人、偶然このブログにたどり着いた人、全ての人に感謝と幸あれ…!また、今回お世話になりました方々はもちろん、全ての医療従事者の方々に改めて感謝申し上げます。

 

「急な話でごめん、もしかしたら明日死ぬかもしれない。今までありがとう。」

シャワーを浴び、髪を乾かす。妙な違和感。変な予感がする。涙が止まらない。

今年の話です。

 

 

イントロ

急に腰が痛くなり病院に行きました。

日常生活では問題無かったのですが、楽器を吹く際に「腰いてぇ~」と思いながら演奏していた程度で、気にしていませんでした。

診察の結果、やはり腰回りに問題があると言い渡され、即日コルセット&リハビリ。しかも大方の原因が”楽器吹きであることによる慢性的なダメージ”ではないかと指摘され、正直「やらかした~」と思いました。

不安ではありましたが、この状況下をなるべく前向きに捉え、腰痛軽減等のアドバイスをかなり意識しながら生活をし始めました。

 

不協和音

通院から数日後、急激に病状が悪化しました。頭が痛い。胸が痛い。指や腕の違和感。足が痺れる。動けない。動きたくない。ヤバい…ってコト!?

今まで腰だけが痛かったのに、突如として身体の上から下までおかしな状態になりました。ナンジャコンジャワカランジャTV。

救急車を呼ぶべきなのか、安静にしたら治るのか。直感的に「マジで死ぬかも」とは思いましたが、確信は持てませんでした。

精神&体力的が限界MAXスレスレな時。脳裏に浮かんだ言葉。

「はやく 救急車 でんわ」

勇気を振り絞り救急車を呼びました。正常な判断が出来なくなっていく反面、本能的に声を出せる内に出さなければ、本当に死んでしまうと(その時は)感じたからこそ言えたのだ、と思います。

救急へ電話~救急車に乗る前後までは記憶が曖昧です。良くも悪くも交代人格が助けてくれたような気がします。

※以前、いわゆる交代人格的なる存在が書いた記事があります。ご参考までに

 

 

走馬灯・第一楽章~A to Z~

搬送先が決まり、ピーポーパーポー鳴り出しながら救急車が動き出した頃、急に頭がクリアになりました。もしやこれが走馬灯なのかな、って思いました(生きてます)。

人生で関わってきた沢山の人達が頭に浮かんでは消えていきました。家族、友人、いつもお世話になっている人達、あの時あの場所で助けてくれた見知らぬ人等々…

もっと出来ることをしておけば良かった。もっと言いたいことがあった。もっと会いたかった。全然連絡取れていなかった。一緒に何かしたかった。感謝の気持ちを伝えきれなかった。もし死んでしまったらどうなってしまうのだろうか。私のせいで誰かが苦しむ事にならないだろうか…。

後悔と申し訳なさで胸が苦しくなりました。

 

走馬灯・第二楽章~IF~

自分の歩んできた道も思い出しました。

なぜ子どもの頃からの夢を諦めてしまったのだろう。もっと挑戦できたことがあったのに。AではなくBの選択肢をとっていれば生きやすかったかもしれないのに。なぜ早く気付く事が出来なかったのだろう。将来に向けてがんばろうと行動し始めたばかりなのに、なぜこのタイミングで…。

人生の選択肢をすべて踏み間違えてしまったような感覚に陥り、これまたどうしようもない後悔が襲ってきました。

泣きたくないのに勝手に涙が流れるのです。

 

※搬送後、検査等を行って頂きました。再三申し上げますが、命に別状はありませんでした(改めて、救急に携わって下さった方々、誠にありがとうございました)。

 

人生交響曲~WILL~

自分の人生を歩んでいきたい。決して人にあわせなくていい。

私には他人と比べて出来ないことが数えきれないほどあります。その代わり、他人からは「普通の人はそのような物事は出来ない」とよく言われます(最近色んな方からそのような声を頂く事が多く…照れますね)。

 

自分が一番活躍できる分野・フィールド・場所で勝負していきたいと強く思いました。

改めて普通を目指す必要性はないと痛感しました。たとえ選ぶ道が茨の道であっても。

※参考

kanitamax.hatenablog.com

 

人に助けてもらった分、沢山の恩返しがしたい。

私は元々、「人を助ける(助けないといけない)」側の人間でした。父が視覚障害者であり、幼い頃から父の面倒を沢山みてきました。父はもちろんの事、身体障害者精神障害者発達障害者の方々と接する機会が多くありました。それらの経緯から、大学の卒業論文において、障害者をテーマとした論文を執筆しました。

※参考

kanitamax.hatenablog.com

 

ただ、私は「人に助けてもらう」側にもなってしまいました。今までの生きづらさに「障害」という診断が下されて以来、社会から個人間に至るまで助けてもらいっぱなしです。

正直なところ、「人に助けてもらう側でありながら、人を助ける」というのはとてつもなく大変だと思っています。とりわけ私の場合は精神・発達障害のため、「心の健康度」が特に大切になっていきます。自己管理能力を身につける/つけていくことが大前提ではありますが、精神的に参ってるときは何も動けずどうしようもありません(情けないです)。

 

それでも尚、成し遂げたいのです。私の得意分野・好きなフィールドで活動し、それらを社会や個人に与えたいのです。間接的な形になると思うのですが。

 

私は、私自身の事しか話す事が出来ません。ただの情報の塊を発信したところで、それは私自身の言葉ではありません。私はどんな人生を歩んできたのか。何を得てきたのか。その上で沢山の情報に触れ、私の視点から思いつき、何か行動できることはないか。それが「私にしか語れないこと」です。

 

私自身の「人生」を大切にしながら、「私にしか語れないこと」を大切に、常に感謝の気持ちを持ち続けながら、自分の道を進んでいきたいと思います。強く。

 

 

皆さんも健康には気を付けてください。

幸あれ。