感覚をバグらせろ

書きたいことを書きたいだけ書きます。

視覚障害者の父を心の底から尊敬している話 〜肉体と精神の”天命”〜

「今度会う時には、お前の顔が見えなくなっているかもしれない。」

私が浪人生という道を選び、予備校に通うべく地元を初めて離れる日、父はそう言って私の顔をじっくりと見つめてきました。

父の目、表情、言葉、佇まい。脳内に私のすべてを焼き付けるかのような父の姿を、私は一生忘れることはないし、絶対に忘れたくない。

 

視覚障害者の父を持つINTJの娘が、父もとい「パパ」が大好きで、なぜパパのことを心から尊敬しているのかつらつら書きたいと思います。

 

網膜色素変性症とは

冒頭にもあるように、私のパパは視覚障害者です。
病名は「網膜色素変性症」。難病指定されている病気であり、現在有効な治療法は確立されていません。
遺伝的な病気で、いつ発症するかわからず、発症してからは徐々に暗い場所でものが見えなくなったり、視野が狭くなっていきます。
www.nanbyou.or.jp


ALSの嘱託殺人関連や、iPS細胞関連でこの病名を耳にしたことがある人がいるかもしれません。
山中教授がノーベル賞を受賞した時は、「もう一度目が見える日が来るかもしれない」と、子どものようにはしゃいでいました。
父は当事者です。

sun-tv.co.jp

パパと網膜色素変性症

先に書いたように、この病気は「いつ発症するか」「どのくらいのスピードで見えなくなっていくのか」個人差があります。
なので、パパがどのように網膜色素変性症という”天命”と付き合い始めたのか、私が知っている限りのことを書きます。

中学での”出会い”

パパが「目がおかしい」と感じたのは中学生の体育の時間だった、と言っていました。
ちょっと暗めの体育館。飛び交うボールがうまく追えない。なんか変だなと思ったそうです。
そして眼科で診察を受けた結果、言い渡されたのは「網膜色素変性症」という病名とその症状。
難病指定の病気であること。
医者からは「今のうちに点字の勉強をしておいたほうがいい」とか色々言われたそうですが、当時は暗闇が苦手なだけで、特段生活に不便に感じることもなかったため、勉強しなかったそうです(ちなみに現在も点字が読めないし、勉強する気も特にないらしい)。

高校〜大学と”時間・知識”

この時期は「時間を引き伸ばした」と言っていました。
パパの両親はバリバリの農家、かつパパ自身が長男だったため農業高校に進学しました。しかし、将来的に自分が農業で食っていける訳がない、とこの時点で悟っていました。
部活としてフォークソング部を自ら立ち上げ、アコースティックギターを熱心に弾いていたようです。最終的に部員20人くらいをまとめていたと言ってました。

大学に関しても、目が見えるうちに知識を吸収すべきだという考えのもと経済学部に入学して、色んなことを勉強したようです。

社会人

新卒編

銀行員として社会人生活をスタートさせたパパ。
最初はうまくやっていけたものの、小銭の勘定がうまく出来ない等、仕事の内容にストレスを感じたため、割と早めに退職したと言っていました。

転職編

保険の営業職につきました。ここでは持ち前のコミュ力(高校で部活立ち上げられるくらいだからね…)でぐんぐん成績を伸ばし、3〜4店舗の営業所長・営業所長代理まで上り詰めたそうです。
仕事も出来、周りからも信頼され絶好調なパパ。お給料も相当良かったと言っていました。

このまま出世街道突き進むかと思いきや、現実は冷たいものです。
職場内で「パパさんって目が悪いらしいよ」という噂を流されたそうです。
パパ自身、目がどんどん悪くなってきているのを自覚していました。
上司からは事務職などに異動してもいいのでは?と打診を受けていました。

しかし、パパいわく「この職場でやりたいのは事務職ではないし、もし事務として働き続けたとしても迷惑をかけるばかりだ」ということで、辞職したそうです。

「辞めるかどうか相当悩んだ」とパパは言っていました。
シンプルな言葉ではありますが、人生の帰路に立たされ、計り知れないくらいのプレッシャー・不安・焦りを抱えていたと私は思っています。

この話を聞くたび、私の心はズキズキします。

自営業編

小売業をはじめました。組織にいては迷惑をかけるだけだから、自分で自由にできるほうがいいと。

輸入雑貨店・コンビニのフランチャイズ経営を行っていたそうです。
パパが自営業を選択し、社長として働くことは合理的だなと思います。

ある前提条件が満たされれば。
「有能な従業員がパパを理解し、一緒に働いてくれること」です。

パパは従業員に恵まれませんでした。

従業員は「パパは目が悪い」というのを逆手に、悪行を繰り返しました。
特にひどかったのはコンビニのフランチャイズ経営をしていた時だったといいます。
その頃のコンビニ業界はフランチャイズ経営の黎明期で、そこに目を付けたパパは先駆けてフランチャイズビジネスを始めました。

だけど、ダメだった。従業員が酷すぎた。
レジにあるはずのお金が無い。商品やタバコがいつの間にか消えている。
パパは従業員に事実を問いただしましたが、皆しらを切るばかり。

性善説を信じているパパでしたが、このままではコンビニが赤字になってしまうこと、何より事実が知りたいという思いから、店内のレジがよく見える場所に防犯カメラを設置しました。

防犯カメラを設置した翌日、カメラは破壊されていました。
なぜ破壊されたのか従業員に聞いても、誰も知らない、わからないという。

パパは大量の赤字と負債を追い、コンビニを閉めました。
従業員に対する訴訟も出来ませんでした。証拠がないから。

この話を聞くたびに腸が煮えくり返ります。


とてつもない余談ですが、このエピソードを聞いて、私は「障害者雇用と職場コミュニケーション」という論題で卒論を書きました。
健常者と障害者は職場においてどのように相互理解していくべきなのか。
お互いの違いを認めあった時、イノベーションは起こらないのか。

しょぼい大学生が導き出した結論は、以下の3点という平々凡々なものでしかありませんでした。
どれだけ論文を漁っても、どれだけフィールドワークをしても得られたのはたったこれだけ。辛い。

  • 健常者と障害者が直接対話をすること
  • お互いの共通項をみつけること
  • 障害者は自分自身の障害や障害にともなう日常・社会・仕事上の制限を健常者に語ること

 

自営業編・改

不動産・アパート経営を始め、今はこの収入で暮らしています。
幸運なことに、パパの両親は農家です。土地があります。
大学で経済学部を専攻していたこともあり、多少なりとも経営に関する知識がありました。
所有している土地にアパートを立て、維持管理をすることで生計を立てています。
必要最小限かつ理解のある従業員とママの力を借りて、立派に仕事をしています。

今のパパの人生は楽しそう

波乱万象な人生を歩んできたパパ。私がパパなら廃人になってるか既に死んでます。
でも、パパは「この苦労があったからこそ、色々なことの発展に寄与したい」といいます。
目が見えないから「出来ない」という言い訳もしません。常に前を向き、新しいことに挑戦し続けています。

難病に関する支援・発信

網膜色素変性症協会なるものに参加し、医療の発展や、当事者同士の助け合いなんかに積極的に関与しています。

jrps.org

視覚障害者コミュニティへの参加

視覚障害者向けの卓球競技「サウンドテーブルテニス」を始め、視覚に難がある人達とのコミュニケーションを図っています。

jatvi.com

※どんな競技か知りたい人はこちら

www.youtube.com

音楽

高校時代から始めたアコースティックギターは今も弾き続けています。
最近はオリジナルソングを作ったりしてます。
いつかYoutubeに動画を上げたいと、録音機材を買いまくってました。

他にも「ギター以外の楽器も演奏してみたい!」という興味好奇心から、ドラムを習い始めました。大人のヤマハ音楽教室に通ってます。
太鼓の場所すらよく見えてないのにドラムなんて叩けるのか?と最初思っていましたが、意外と様になってました。偏見もってしまってごめんなさいパパ。

テクノロジー

私と同じくらい、ガジェットに詳しいです。
PCはもちろん、iPhoneiPadを使いこなしています(視覚障害者用のVoiceOverという機能で)。

youtu.be


Amazonがまだ本屋さんだった頃から、ネット通販を使っていました。
今ではAlexaを買い、天気とか時間とか聞いているみたいです。

会議でプレゼンを行う時に、原稿が確認できず不安という問題に対して、骨伝導イヤホンを買い、iPadの読み上げ機能と組み合わせることによってその問題を解決させました。すげえ発想。

最近のテクノロジーにはとにかく敏感です。

料理

ママがパートで忙しく、夕飯が作れないと嘆いており、「パパ、私が働く日は子どもたちのために夕飯作って」とママが打診。
その話を聞いている私は「それは無茶振りでは!?!??」と思っていました。が…
パパ「いいよ。」
まさかの快諾。びっくりしました。

包丁を手に取り私達兄弟のために夕飯をつくってくれました。
得意料理はカレー。
じゃがいもの皮は充分にむけておらず、玉ねぎの皮が沢山入っているカレー。
水が少ないドロドロのカレー。
パパの作るカレーはとても美味しかったです。

パパの価値観 〜肉体としての”天命”〜

パパいわく、「目が悪くなったのは天命であり、宿命であり、運命だ」と言っていました。
自分の置かれた環境や境遇に基づいて、行動を変化させる必要がある、させなければいけないということです。

 

私の価値観 〜精神としての”天命”〜

私は社会人として、とても辛い思いをしながら生きています。
その一因として、自分自身の性格が問題だと思っています。

2回におけるMBTI診断。だされた結果はINTJ。そして女。
そもそもMBTIなどの心理学テストは賛否両論あり、性格を厳密にカテゴライズできないことは重々承知の上です。
しかし、少なからず私はINTJとして診断され、これまでの人生がいかに辛いものだったのかを理解することができたし、自分の悪い癖を治すための良いツールだと思っています。

 

パパと私の天命人口(?)

比べるものではないのですが、網膜色素変性症の方々の人口と、INTJ女性の人口がどれくらいのものなのか気になったので計算しました。
計算はガバガバなので許してください。*1

  • 網膜色素変性症の人口:2,598,266人
  • INTJ×女性の人口:1,870,751人


数字としてはこんな感じでした。

肉体と精神の天命

パパは【肉体】として網膜色素変性症という”天命”がある。
私は【精神】としてINTJ女という”天命”がある。

 

パパも、私も、天命に基づいた宿命によって、何かしら行動を起こしています。


でも、私は弱い。
情緒不安定でいつも頭の中が爆発しそうです。

反面、パパは強い。
どんな逆境も乗り越えて、人から辛いことを言われても立ち上がる勇気がある。
自分が辛い思いをしてきたからこそ、色んな人と関わって、善悪関係なく、誰かのために何かを一生懸命がんばっている。

 

お互い背負う天命は違えど、
私は、パパという存在が誇りであり、尊敬しており、また人生の師としてパパのような人間になりたいと心から思います。

 

いつもありがとう。

 

 

*1:

ソース

World Population Prospects - Population Division - United Nations

※世界総人口:7,794,7991,000人

網膜色素変性症(指定難病90) – 難病情報センター

※4000人〜8000人に1人発症とのことなので6000人に1人が発症すると仮定

“建築家”型の性格 (INTJ) | 16Personalities

※全人口の中で2%・女性比率は0.8%