感覚をバグらせろ

書きたいことを書きたいだけ書きます。

今日感じた事

まず、何気なく行った本屋さんで、可愛いフリクションボールを買えてとてもテンションがあがっている。今まで何本もフリクションボールを買ってきたのに、ほぼ使わないという残念な結果に終わっていたが、自分の好きなものを見つければ使いたいという気持ちが自然と湧いてくるんだなぁと思った。あと単純に、消しゴムいらず・修正テープいらずな点も地味に嬉しい。

今まで消えてしまう長所を短所に捉えていたが(だから油性ペンが好きだった)、やり方次第では消えないだろうし、いくらでも方法はあると思う。

 

最近沢山の人と多く関わりを持つようになり、見ていて思う事がある。人は【やり方に対する楽しさ】を見出さない限り、面白さに気付くことすらできないという事だ。

その人は、口頭での説明は非常に上手く、まとまっているように感じられるが、文章にその考えを落とし込むのがどうやら苦手なようだった。その才能を、私はもったいないと思う。その人をサポートする人達も、「これでいいと思う」と言ってその人を困らせているのだ。周囲の人達を責める必要もないのだが、適切な才能を、適切以上に引き出してあげるには、周囲がどう関わるか、どのくらいの知識や観察眼を持っているかに決まってくると思う。

もし、このまま一人の才能が開花されずにしぼんでいったらどうなるのだろうか。今回たまたま出会わない限り、その人は自身の長所すら気付けないまま、悲しい結末を迎えていたかもしれない。教えてほしいと頼まれた側の情熱を真摯に受け入れ、何倍も、何十倍もその熱意に応えていく必要性があるように感じる。

情熱についていくのも大変だ。同じ熱量には同じ熱量を返してあげなければいけない。きっと周囲はその人の持つ情熱についていけなかったのだろう。その人自身は、手を変え品を変え、色んな人からたくさんの知識を吸収しているというのに。何回も記載するが、これは置かれた環境によって左右されるものであって、環境自体を責める訳ではなく、単に相性が悪い、と言えるだろうし、その環境下が落ち着く人・持ち味を発揮できる人はたくさんいるだろう。

この例のように、熱い気持ちを持っているにも関わらず、誰もどうにもしてくれない、どうしようという心の叫びはどこにいってしまうのだろうか。人生に意味や、価値を見出してくれる人との出会いのなさに落ち込まないだろうか。

こういった「もったいない状況」を見れば見るほど、何とかしてあげたいという気持ちになる。特異には特異をぶつけるしかないのだ。

 

皆、楽な方にいきたいという気持ちをどこかで抱えている。なぜか目を逸らしてしまうのだ。なぜだろう?それはきっと、自分の方が相手より大切だからだ。相手よりも、自己を優先してしまう傾向があるように思える。

なぜだろう?困っている人が目の前にいるのに、なぜ自分を優先してしまうのだろう。その思考回路がよくわからない。理解すべきだと思う。恥ずかしいのだろうか?自分が無能であるというのが世間にバレることが?じゃあその人達は自分自身に本気で向き合った事があるのだろうか?これは恐らく、はぐらかされる質問になるだろう。オープンに心の内を話す人なんてそうそういないのだから。

 

心の内を話すという意味では、ある種転機のようなものがある。毎週通っていたコーヒーショップに現れた人だ。

彼はバンドTシャツのようなものを着ており、申し訳なさそうにタバコを吸っていた。自粛期間中だったからだ。

そんな彼を見かねて、私は声をかけた。「世の中大変になりましたね、そんなに気を遣わなくていいですよ」と。そんな一言だったと思う。

そうすると、彼は色んな事を話し始めた。自営業をやっている、出張で来た等。とても面白かった。

何回か喫煙所で遭遇すると、彼から「ご飯に行きませんか?」と言われた。こういう声かけには用心していたのだが、彼なら大丈夫だろうという謎の確信があった。

 

近場の居酒屋に入ると、彼は「先ほどは嘘をついてしまい申し訳ない、実はこんな仕事をやっている」と言い始めた。マジかと思った。今まで関わりのない、持てる訳のない人が目の前に座っているのだ。彼は沢山の事を教えてくれた。彼の歩んできた人生を、包み隠さず。

そしてこう言ってきた。「次はあなたの人生について聞かせて下さい」と。驚いた。始めて会う人に対して、あまりにも図々しい質問ではないかと。私もその考えが気になって、「なぜ私の人生が聞きたいのですか?」と聞いた。彼はこう答えた。「こうして会った人がどんな人生を歩んできて、今なぜこのように話をする事が出来ているのか、それが知りたい」からだと。

 

びっくりした。そんな考えの人が世の中にいるのかと。経験則上、身の上話をするのには、相手との長いし付き合いを要するし、どれくらいの関係性が構築されているのか、という部分を考慮しないといけないからだ。彼は、その[方程式]をブチ壊してきた。でも、ブチ壊すのには十分なほど、沢山の事を聞いた。だから話した。なぜ私があの場所にいて、こうして出会う事ができたのかと。

とても不思議な空間だった。初めて会う人と、これまで自分の人生について話した事自体が。でもそれは、彼が作り出してくれた空間であり、彼の導入無しには話せなかった事のように思う。

私はそんな彼が気になって、質問をした。「なぜそのような職業になったのですか?」と。彼は、「皆に勧められたから、そうした」と言った。正しくそのような職業になる為に生まれてきた人だと私も思ったし、周囲の一声が無ければ彼もそこにいなかった。

 

適材適所という言葉がある。適した能力や才能に合わせて、適した環境へと身を置き、整備してあげなければ、その人は輝けない。

その輝きを見つけてあげるのが、周囲の人達の存在なのではないだろうか。

 

いくら優れた才能を持っていても、周囲が気付かなければ、その人自身が輝くことは出来ない、という話。