感覚をバグらせろ

書きたいことを書きたいだけ書きます。

強くなれない日

いつも「大丈夫」だと思っていられるほうが不思議で、何かに寄りかかることも時には大切だと思う。

たまたま寄りかかった木に、どうしても考えを奪われてしまうのだと、そう自分に言い聞かせるほかない。

 

人生の時間の流れを把握できない。これが私の抱える最大の弱点、と言っていいのかわからないが、素直に描けないものだという事に気づいた。一番厄介だと思う。

どこか自分の人生を俯瞰的にみてしまっており、自分の歩んできた軌跡が本当なのか、轍があるのかさえ疑ってしまう、そんなような状態なのだと気づいた。空虚である。実際は空虚ではないと思うのだが、どうしても自分の人生ですと言い切れない。どこか疎外感があるのだ。自分自身に疎外感を覚える。自分は自分なのだろうか。

 

こういう物書きをすると、頭が割れそうな感覚に陥る。いきなりフラフラする。恐らく思い出さないようにとセーブをかけているんだと思う。それくらい、覚えている事を覚えていない状態にせざるを得ない、自分の人生はどこか自分の人生ではないようにと認識することが、ある種の生存戦略だったのだと思う。知らんけど。どんな生存戦略を取ったのか覚えていないのだから。覚えてはいるはずだが。壮大な矛盾が生じるのだ。なぜか。

 

今日は疲れた。色んな事を考えた。気づかないうちに、時間がどんどん進んでしまっている事に衝撃を覚えた。悲しかった。時間はこんなに進んでいて、その流れに合わせて皆必死にがんばっているのかと。笑顔が眩しかった。素敵だった。がんばっている人のきらめきだった。ちょっと不安そうで悲しそうだったけど。私は一瞬素直に喜べなかった。驚きが先行してしまい、え?もうそんな時間が経過しているのかと、焦りを感じてしまった。複雑な気持ちになってしまった。私が記憶をすっ飛ばしているうちに、この人はがんばっていたんだと気づいた。その空白期間を認識できない自分が惨めだった。こうやって皆遠くに行ってしまうのだと思った。現実世界の確実な未来への一歩、という時間軸に。私もそっち側に早く行きたい。早く行かせてほしい。これ以上何を捧げれば出来るのだろう。たまにわからなくなる。

 

何が違うのか考えた。挙げ出したら大量に違うことが出てきた。割と終わってるなと思った。もっと出来ることはなかったのか考えた。思い出せなかった。かなり終わってるなと思った。

違ってもいいと思う。違うものを比較する訳でもない。辛さも比較するものではない。その人だって色んなものを抱えて生きているのだろうと思う。葛藤していると思う。とはいえ、私は私として、とても生きづらい。それもまた変わらない。自分が自分であると認識できないのも事実で、記憶を引っ張り出せないのも事実で、それによって色々な統一感が抜け落ちてしまっている。人生の。私の叫びは私の叫びとして、誰かに聞いてもらわないと、それはそれで困る。わがままだけど。

 

まだそこまで強くない。強くなくていいのかもしれない。わからない。強かったらよかったのにと思うが、あまり期待しすぎてもいけない。身の程を知りながら、何かをする。何が出来るのかは知らない。願わくば、誰かに導いてほしいかもしれない。と思ったら胸がざわつく。もっと出来ることはあるんじゃないかと。でも進まない。いつもなら進んでいるはずなのに。そもそもいつもって何なんだろう。何がどうしてこうなってしまったのだろう。なんでだろう。

 

わからないまま、人生の幕を閉じるかもしれない、それは嫌だ、それでいいのかもしれない、わからない方がいいことも沢山ある。じゃあどうする?誰が面倒を見て、誰が負担するのだろう?それは誰なのだろう、きっと私なのだろう。嫌だ、やりたくない。めんどくさい。それでいいのかもしれない。

 

無限ループって怖いね。

 

P.S.もう既に何かしら考察されているようです(以前にもシェアしていたらごめんなさい)。別に投稿自体は怒っていないので削除しないのですが、色んな意味を含めて、非常にコメントし辛いなぁ、の一言につきます。私が向き合わないといけないなぁとは思うんですが、それが出来ないから困っている、としか言いようがないです…(現時点では)。

kanitamax.hatenablog.com