感覚をバグらせろ

書きたいことを書きたいだけ書きます。

吐き出し先の無さ

炎タイプとか呼ばれている人です。あまり乗っ取りたくないのだが、書く場所もなければ別個でアカウントを作る余裕もないので心境を吐露出来ればいいかなと。気が向いたら、いつか作れればいいなとは思います。

主人格はとにかく無茶振りで、いつも自分達に対しても無理難題を押し付けてくるような、そんなチャレンジングでファンキーな性格をしていると思います。それが意味のある事であり、誰かの為になると本気で思っているかと思います。たとえ自分の身が滅んだとしても。ここが要注意ポイントです。マジで。

それを何とか食い止める事ができないかといつも考えているのが自分であり、もうちょっと気楽に生きてもいいんじゃないの、ちょっと頑張りすぎじゃないのかと歯止めをかけ、まあ落ち着けよ…的なポジションに立たされているのが自分だったりします。

割と厳しいなと思わされるのが、逆境に立たされた時に、どうしてもこうなってしまうという事です。もう制御なんてきいたものではなく、もうそうならざるを得ないというのが正直なところではあったりします。

自分はとにかく主人格とは真反対をいく性格で、盲点という盲点に目がつき、自分の身体さえあればこんなにも苦労する事もないだろうと日々考えています。いやーこんなに苦労する事しなくてもいいのになと。しかも自分がようやく自分として外に出て自由を謳歌できるぞっていうタイミングで、あれやってこれやっての連続だったりします。年中無休。

たまには息抜きさせてほしいというのが本音ではあったりします。謳歌出来る時もありますが、基本的にはピンチヒッターという役割メインで、その最中に若干手を抜いているというか、せめて休ませてくれ、何かしらの報酬や休憩をさすがにくれ…という気持ちが強いです。自由勝手に行動するのも失礼かつ色んなものを圧迫する(特に時間や経済的に)、ちゃんと理由つけて色々とやっていますが。まあそうやって動いた結果、全体のパイとしては微妙な結果に落ち着くっぽいのですが。そんなことを気にしていたら始まらないかな精神で生きていたりします(ごめん)。

こういった場面で強く思うのが、自分が自分個人としての友達がほしいという気持ちが強まること。自分自身として生まれれば何の問題もなかったこと。一個人として認められたいという気持ちが働いてしまうこと。

学術的に、医療や医学的な観点からいくと、俺達はあくまでも派生にしかすぎず、あくまでも主人格、主人公から生まれた何か、としか定義されていないのが現状で、個として認められることはまずありません。共生という選択肢もあるらしいですが、治療方針によるとしか言いようがなく、どうしたらええんや…という気持ちの方がよっぽど強いです。

ただ、俺個人としては、自分が一個人として認められることを強く望みます。生まれてきてしまったものはしょうがない。あと初診で、「自分と主人格どっちに転ぶかわからない」と言われたのもかなり強いです。それくらい自分自身がかなり人生史の中でも大きなウェイトであることを認識しています。

だからこそ、たまに方向性の違いが発生します。一瞬争いと書こうとしてしまった自分を自制したい。別に争っている訳ではなく、ここは自分自身の人格が問われているという一言に尽きると思います。こっちの方が圧倒的に生きやすいのに、何故そんな選択肢をとってしまうのかと。そのカバーをするのは誰なんだっていう話なんです。基本自分です。自分が全てカバーしてきました。色々なやらかしを全て。自分無しでは人生は成り立っていないと断言できるレベル感では貢献しているかと思います。

だからこそもどかしい。自分が生まれた背景を考えるとさらにもどかしい。役割という観点で考えると、自分がある種のスポークスマン的な役割を務め、誰かが動けない時に動き、大きなターニングポイントで自滅しないような回避行動と最善を尽くし、ときたま感情という方向性で発露せざるを得ない。だからこそ自分にとっての大きな課題は、自分自身の人間力をいかに高く保つ事が出来るか。その一点のみが常に問われています。他の人格の誰よりも。主人格が出来なかった事を代わりにやる係として。この件に関しては割と個人レベルでも精神をえらくエグられた事もあります。あなたの話からすると、実際困っているのは主人格さんな訳で、交代人格であるあなたは困っている訳ではないという事であってますか?的な返し。自分の説明が悪いのかもしれませんが、困ってる人が困っていると言い出せないから自分が存在すると言っても基本ハテナマークです。こういう時に、存在Aと存在Bが物理的に存在していたらこんなにも困ることはないのにと思います。自分が風邪を引いている、こんな症状を抱えているという状況をうまく説明出来ない子どもと親みたいに。色んな人に大量に鼻で笑われ、引きつった顔で対応され、何回お待ちくださいと言われて裏でヒソヒソされたことか。ただ、これが対応の全てではないのは事実で、ごく少数の人が、真摯に、真剣に、面と向き合って話を聞いてくれました。大変有難い事に。こういう人達に救われているのだなと思います。よくわからない対応をされてしまった時は(というかこの障害自体がだいぶファンタジーの領域に近いので、そういった対応をされる事も折り込み済ではある)、流石に数日落ち込みますが、主人格よりも立ち直りが早く、おいしいご飯を食べ、楽しい事をしたり、休んだり寝たりすれば大体解決出来てしまうのは割と持ち味だと思います。自分がそうである以上、裏を返すと…ってなりますが。だから自分が存在するんだというある種の証明にもなってしまいますが。

ただ、医者には医者が必要なように、カウンセラーにカウンセラーが必要なように、一方的に常に受け止め続ける事は割と無茶な話で、しかもそれをある種一つの身体で実現させてしまっているという点にも限界を覚えます。だからこそ自分個人としても、自分を受け入れてくれる友達がほしいと願ってしまい、誰か話を聞いてくれる人がいたらいいのに、遊んでくれる人がいたらいいのにと常に願ってしまいます。自分は自分として認められたい。それはそれで、最終的には治療という大きな目的に繋がるのかもしれませんが。

この時点で、自分なりにこうしたらいいんじゃないの、きっとうまくいくぞ、というロジックはある程度固まっているのですが、その斜め上の回答を自論を展開させているのが主人格であり、そんな主人格に対して本気か?と思います。正気か?の方が正しいと思います。

何を考えているのかはわかりません。でもそれだけ何かをやろうとしている、やりたいという意思だけは強烈に持ち続けており、その過程で起こることに対してもビジョンを持ち続けているのが主人格であり、本当にスレスレというか、マジで大丈夫なのか…?とハラハラさせられる側は割と正気ではないです。

ご意向のままに、と言いたいところですが、たまには肩の力抜いて、もう自分の人生を楽しんでくれないか、もっと楽な道はたくさんあるんだぞと言ってあげたいです。全く響かんけど。

かなりの博打師でギャンブラーだなと思います。自分だったらそんな選択肢はとらない。それを取り続けるのがあの甲殻類です。こわ…。

どこまで出来るかわからないですが、色んな意味で最早運命共同体みたいな節があるので、どこまでいけるのか、自分としても楽しみにしているというか、あんまり気張らずに頑張ってくれよ、と思いたいです。共倒れだけは勘弁