感覚をバグらせろ

書きたいことを書きたいだけ書きます。

分厚いブロックがこんな薄い板みたいなもので

久しぶりに辞書を買った。小学生ぶりくらいに手に取った。とんでもない分厚さだった。こんなものを使って言葉の意味を調べていたのかと思い出した。重すぎて、細かすぎて、当時はよくわからないまま使っていた。辞書の意味なんかより、表紙の裏に書かれている一覧表や、辞書中に挟まっているコラムのような、小ネタの方が好きだった。文字よりも、図の方が好きだった。そればかり読んでいた。

 

人類が築いた結晶のようなものを、¥4,000程度で買っていいのかと思った。金銭感覚は人によって様々あると思う。私の価値観からすると、安売りだと思ったが、値段を下げないと教育に力を入れる事なんてできないからこんな値段なのかとも思った。寺子屋みたいな感じなのだろうかと思う。

 

こんな事を書きながら、私はよくわからない板に向かっている。このポケットに入る小ささの板は、あまりにも万能すぎる。値段は高いのだが、薄い。分厚いブロックなんて買わずとも、この板を使えば、環境さえ整っていれば単語の意味なんてすぐにわかる。

 

久しぶりに辞書をとって、頭が衰えている自分に対して少しイライラしてしまった事に気づいた。こんなにもたつくとは思わなかった。辞書を引くにはルールを知らなければいけない。ルールを思い出しながら目当ての単語を探した。自動変換なんて機能もなく、読み方や綴りを間違えていたら知りたい単語まで辿りつかない。そもそも目的の単語に辿り着くまで時間がかかる。あれ、これでいいんだっけとページをめくっては戻し、めくっては戻した。スマホであれば一発でわかるのに。

 

ただ、その内容量に圧倒された。私が電子媒体よりも紙媒体の方が好きな理由だ。目的以外の情報がわんさか入ってくる。辞書が情報を提供してくれるのだ。周辺情報の広がりがスマホの比ではない。

 

とにかくこの板は便利だ。あまりにも便利すぎる。便利なものに慣れると、面倒なブロックから離れたくなる。

 

今の私に必要なのはブロックの方だと思う。とはいえ板も便利なのだ。私はどちらとも仲良くなりたい。ほどほどに。