感覚をバグらせろ

書きたいことを書きたいだけ書きます。

無双夢想、一枚の花びらから得られる大輪の果てに

いつもはきちんと言葉の意味を調べて物書きをすることが殆どなのだが、敢えてしないことにする。乱文になるかもしれない。

タイトルは直感である。何も考えていない。ただひたすらに何かを書き連ねたいだけなのかもしれない。

 

新しい扉を開くときに、何を思い描こうか。毎日人生のページをめくるたびにそう思う。

扉の先というのは、果たして自分自身で決めることができるのだろうか。扉。モンスターズインクでは任意の子供部屋に対して、モンスター達が怖がらせることによって、エネルギーを得ることができる。「叫び」がモンスター社会での動力源なのだ。

最終的に、その「叫び」は、『恐怖』から『笑い』へと移行する。本質的には変わっていないのだが、『恐怖』と『笑い』の差はあまりにも大きい。

感情を制御することは、とても難しいと思う。人間よく理性を働かせて動いているなと思う。それが人間である証拠であることは間違いないのだが、理性による感情の抑圧と解放先。それはどこへいくのだろうか。とある漫画の、「みな酔っ払うしかないんだ・何かに酔っ払って生きているんだ」というセリフが印象的だ。何に酔っ払えば、みな幸せになれるのだろうか。そもそも幸せな酔っ払い方なんてあるのだろうか。そんなものがあったら、不幸は訪れない。

私は逆張り精神が高く、ChatGPTを使っていなかった。自分の思考力が低下すると思ったからだ。だが、そんな質問を意図的にぶつけてみようと思った。聞いてみた。返ってきた答えは、「そんなことはない」。そのようなニュアンスだった。果たして本当なのだろうか。

とめどなく考えることによって得られるものは多いと思う。たとえ遠回りしたとしても、行き着く先が同じだったとしても、その過程に面白さを見出すことができる。

最近面白かったのが、人生のキャリアプランに関して、仏教的な観点から話を進め始めていたことだ。熱く語る彼らの切り口はとても面白かった。私は会話をじっくり聞いていたのだが、どうにも聞き覚えのある話だった。

会話がくり広げられている中でポツンと言ってみた。「ライフキャリアレインボーって知ってますか?」彼らは知らなかった。よもや哲学的な観点で語っていたことが、国レベルで採用されている理論だと知らなかったようだった。私はこの時、「すごく遠回りしているな」と感じたのだが、この遠回りこそが人生を豊かにするのではないかと思う。自分のフィールドから繰り出される論点や着眼点が、経緯やルートは異なれど、最終的には似たような着地点に落ち着く、というのがいかにも人間らしくて好きだ。この感覚を非常に大切にしたい。

オチ?そんなものはない。ぴよぴよ